平井堅のデビューは鮮烈だった。
ソニー・レコードのオーディションに合格し、育成期間を経て待望のデビュー。大手プロダクションに所属し、デビュー曲からテレビドラマのタイアップがつくという力の入りよう。そのうえに高身長、さわやかなルックス。当時、音楽雑誌の編集者だった私に、宣伝プロモーターの女性が取材ページ欲しさに、「イケメンだから取材で会ってほしい」と言っていたことを思い出す。
95年5月に「Precious Junk」でデビュー後、毎月連続で2ndシングル、1stアルバムをリリースし順風満帆そのもの。でもCDセールスの数字が思うように伸びておらず、平井自身が「低迷期」と呼ぶ時代に突入しようとしていた。
アルバム『Stare At』は、3rdシングル「横顔」から続くシングル「ドシャブリ」、「Stay With Me」を収録した2ndアルバムだ。1stアルバム『un-balanced』には、平井堅がデビュー前に書き溜めた楽曲を収録。自身の様々な感情を描いた結果、未完全で未熟で不器用な自分=アンバランスな自分気づき、それがアルバムタイトルとなった。『Stare At』には、デビューから約1年半の間に制作した楽曲を収録。全12曲のほとんどを平井堅が作詞・作曲し、シンガーソングライターとして自分のやりたいことをふんだんに詰め込んだ。
3、4歳のころに「歌手になりたい」という気持ちが芽生え、でも大学入学まで誰にも言えず心の中で“ステージに立つ自分”を夢見ていた気持ちを歌った「ステージ」。片思いの気持ちをポップなメロディーに乗せる「なぜだろう」は、レーベルメイトCHAKAが極め付きのひと言、“トモダチデイマショウ”を歌唱。片思いの気持ちをコミカルに描いている。編曲をCHOKKAKUが担った「くされ縁」は、ブラスの効いた遊び心満載のスカ楽曲でスキャットを取り入れるという攻めの一曲。「ゆびきり」は、“大好きなあなた”との未来を歌った壮大なラブソング(平井の兄が結婚式に歌ってほしいとリクエストしたのに、なぜか「Ring」を歌ったという逸話あり)。……といった具合に全12曲、様々ななむき出しの表情を見せてくれている。
“Stare At”とは、“何かを見つめる”という意味。敢えてタイトルに“何か”の部分をつけなかったのは、楽曲それぞれが違う何かを見つめているからだ。例えば「ステージ」は“Stare At Fan”、「くされ縁」は“~Friends”、「ゆびきり」は“~You”、「キャッチボール」は“~Father”といった感じに。平井堅は自分を取り巻くすべての人、物、事……を真摯に見つめていた。背伸びするわけでもなく、日常をまっすぐな目で見つめていた。当時、取材後の雑談ではよく恋愛トークで盛り上がっていたのだが、忘れられないのは、「冷蔵庫に手紙を書いて貼るタイプの彼女をどう思うか?」トーク(笑)。彼はそういうふとした日常のワンシーンを切り取って歌詞にするのがとても上手い。ちょっと恥ずかしいところもさらけ出せる強さがある。
素晴らしいアルバムが仕上がったのに、それでも売れなかった。
時が流れて98年5月。平井堅は満を持して「Love Love Love」を制作、リリースした。この曲が売れなかったらレコード会社との契約を切られるかもしれないと覚悟して作った曲だった。ゴスペル調の多幸感あふれる楽曲。私は最初にこの曲を聴いたときのことを忘れない。なんていう名曲なのだ。天才なのか。こんなに素晴らしい楽曲が世の中に伝わらないわけはない、今度こそは絶対に売れると思った。でもこの曲も売れなかった。“どうしてみんな平井堅の良さに気づいてくれないのだろう?”と私もイライラしていた。編集長を説得しても取材ページを出してもらえなくなっていたのだ。
その後、リリースの予定も見えない状況に陥った平井堅は、“苦肉の策”として『Ken’s Bar』というライブを立ち上げた。とにかく歌を歌いたい。歌を届けたい。その一心で大久保にある小さなライブハウスをバーに見立て、自分自身をバーの店主として、アコースティックでカバー楽曲を披露するようになる。この『Ken’s Bar』に、なくてはならない存在だったのが、他ならぬ『Stare At』に収録された楽曲たちだ。父親との思い出を曲にした「キャッチボール」はこのライブの定番曲になった。
「横顔」をリリースしたころが低迷期の始まり」と言っていた平井堅。その歌詞に“独りが苦しい夜は そばで歌ってあげる”とあるが、彼自身の根底に強くある、“ただただ歌いたい”思いが伝わるこの曲が、奇しくも未来の平井堅が歩む道をつくる大切な一曲になった。今もなお、ファンに愛されている『Ken’s Bar』。その礎となったのが『Stare At』だといえよう。
Text by (株)ソニー・ミュージックソリューションズ 瀬間祐子