“キラキラ”の裏側にある感情のゆらぎ──『FAKIN' POP』という選択
2008年3月、平井堅7作目のオリジナルアルバムとして発表された『FAKIN' POP』。本作は、アーティストとしての“二律背反”と“自己投影”がポップスという形式を通して昇華された究極のポップアルバムだ。
「POP STAR」のようなポップソングの極地にあるキラキラポップなキラーチューンと、「fake star」に象徴される内省的でねじれたポップの混在。それこそが、アルバムタイトルである『FAKIN’ POP』に込められた真意だ。表向きのスター性と裏腹に、どこか醒めた自意識が同居するポップ表現。この二面性を、平井堅は極めて繊細かつ鋭利に、作品ごとにグラデーションを楽しませてくれる。
当時のJ-POPシーンは、安室奈美恵『PLAY』(2007年)や宇多田ヒカル『HEART STATION』(2008年)など、再定義された個性と洗練の時代に突入していた。一方で、違法ダウンロードの影響などもありCD不況の兆しのあったこの時期、ポップスが抱える虚構とリアルのゆらぎがマーケットにも表面化していた。その意味で『FAKIN' POP』は、J-POPの仮面劇を解体しながら、なおそれでも歌でしか救えない感情の存在を証明してみせたアルバムである。
フジテレビ系ドラマ『ハチミツとクローバー』主題歌となった冨田恵一編曲による「キャンバス」では、淡い青春讃歌を描き、「哀歌(エレジー)」では情熱と喪失の交差点をエモーショナルに表現。平井堅がただの技巧派ボーカリストではなく、自分の歌を見つけ出そうとしている過程が音に焼きついている。
この時期、平井堅は明らかに転機を迎えていた。デビューから10年を超え、“アジアで最もソウルフルな声”と評された存在感に安住せず、むしろその評価を相対化するように自らを解体し、ポップスターへと再構築していく。『FAKIN' POP』はそのドキュメントであり、時代を映し出すポップミュージックへの挑戦であり、J-POPらしさへと向き合った作品だった。
2025年の現在から振り返ってみると、この作品は自己言及型ポップスの先駆けとして再評価されるのではないだろうか。現代では、Vaundy、King Gnu、YOASOBIなど、多くのアーティストがポップの枠組みそのものを問い直すスタンスを取っているが、その萌芽はこの『FAKIN' POP』のような作品群にあったように思う。
また、音楽業界のストリーミング、サブスク化が進み、“再発見される名盤”という文脈が強まる今、平井堅のキャリアのなかでも本作は“ただ売れただけの作品”ではなく、“時代の深層を反映した意識的な一作”として評価したい。ポップであることを疑いながら、それでもポップであろうとする姿勢。その揺らぎこそが、2020年代を生きる僕たちの耳にもリアルに響く。
実はこのアルバム『FAKIN' POP』は、筆者が選曲を担当しているSpotify公式プレイリスト『キラキラポップ:ジャパン』のネーミングのきっかけのひとつにもなっている。突き抜けた明るくきらめいた音像のなかに、複雑で歪んだ感情の層が潜んでいる……そんな“ねじれたポップ”の煌びやかな美しさを象徴する存在として、本作の影響は大きかった。そして、シンプルにリード曲となった「POP STAR」は、ポップス史上最大のキラキラポップ・チューンであると声を大にしたい。続く2曲目、「君はス・テ・キ♡」でのアバンギャルドかつストラグルなひねくれポップ展開にも着目してほしい。
『FAKIN' POP』というタイトルには、平井堅というアーティストの決意と諦念、そして未来への投企が込められていたのだろう。まるで、欠落を抱きしめるように美しい。そんな究極のポップスのかたちが、『FAKIN' POP』には鳴り響いている。
Text by ふくりゅう(音楽コンシェルジュ)